
新しいチャレンジには、いつも孤独や不安がともなうもの。スタートアップ企業にとって、事業をおこなう場所や、周りの環境はとても重要ですよね。それらの中でもっとも大切なのが「そこで出会える人」ではないでしょうか?
特集「山梨で会いましょう」では、山梨に関わるスタートアップを応援したい、興味がある、一緒に何かやってみたい、といった“スタートアップフレンドリー“な山梨県人にお話を聞いていきます。
第2回目は、明治元年より味噌・醤油の製造を始め、150余年にわたって醸造業を営んでいる五味醤油の6代目 五味仁さんにお話を聞いていきます。
気を張らなくても続けられるぐらいに
もうすぐ創業から160年を迎えようとしている五味醤油ですが、味噌の製造・販売を主軸に置きながらも、味噌作りワークショップの「手前みそ教室」や、食の体験スペースである「KANENTE」の運営など、様々な事業を展開されていますよね。まずは味噌作りについてお伺いしたいのですが。
ああ仕事の話ってことですね(笑)
はい、お仕事の話ですよ(笑)。看板商品である「やまごみそ」は、蒸した大豆に米と大麦の麹を合わせて作られる甲州みそですよね。こういった製法はこの地域の風土が関係しているのですか?
そうですね。甲府盆地一帯は扇状地帯だから、古くから続く主な産業はぶどうをはじめとする果樹栽培だったんです。だからお米が豊富に作られていた地域ではなかったんですよね。
砂利が多くて、米作りには向かなかったんですね。
そう。だからそれを補うために大麦を混ぜて作ったのが甲州みその始まりと言われていて。そういった意味では、地形や風土が産んだ食べ物ですよね。もう500年ぐらいの歴史があるんじゃないかな。
やはり品質のために大豆や米などの原材料にもこだわられているんですか?
山梨県産のものを使うようにはしていますね。ただもちろんそれも大切なんですけど、最終的に仕上がりを左右するのは発酵の工程なんですよね。

五味さんは味噌作りのプロフェッショナルですが、今回はビジネスの視点についても深掘りしたいと思っていまして。もちろん商品のクオリティは追求されていると思うんですけど、製造の要である“発酵”から派生して、幅広い事業を仕掛けられていますよね。
そんなに深く考えてやってないけどね(笑)。よく「なんでそんなにいろんなことをやってるんですか?」って聞かれるんだけど、基本的に今まで続けてきたことの延長線上でやってるだけで、突拍子もないことは何ひとつなくて。
例えば2018年からお手伝いされている「こうふはっこうマルシェ」に関してもそうですか?
もともとは甲府市が主催する空き家対策のボランティア活動に関わっていたのがきっかけでしたね。担当の課が発酵をテーマにしたイベントを企画することになって、自然とお手伝いする運びになったんです。そこで兼ねてから付き合いがあった発酵デザイナーの小倉ヒラク君とか、山梨にも拠点をもつWEB制作会社のVEJ Yamanashiに協力を仰いで、発酵にまつわるお店に加えてミュージシャンのブッキングをすることになって。
行政主催のイベントだけど、街の企業が提案した企画も積極的に取り入れられている。そういった稀有なパターンだからこそ、出店者やミュージシャンたちも面白がって力を貸してくれているような印象を受けるんですよね。
そこまで解像度高く面白がってくれてるかわかんないけどね(笑)
五味さんはいつも飄々としている印象があるんですよ。何かを狙って動いているというよりは「どうなるかわかんないけど、とりあえずやってみよう」みたいなスタンスというか。
多分何か狙ってやっていたら、今の事業はひとつもできていないと思うな。全部やってみた結果の積み重ねというか。
五味さんが新しい事業を始めるときって、どんなことを大切にしているんですか?
自分も試行錯誤しながらやってるけど、売り上げとか最終的に見える風景は一旦置いておいて「何があってもやりきる」みたいな気持ちが大事だと思っているんですよ。もともと途中で辞めることがダサいって思ってたりする性格もあるんだけど。
その続けていることが、手前みそ教室だったりするんですね。
さっきもワークショップをやってきたんですけど、そこに来てたのは、自分が実家に戻ってきてから15年ぐらい通ってくれている人たちで。当時小学生のママさんだった人たちが、もうお孫さんができていたりするんですよね。「あのときはこんなやり方してたよね」なんて話してたんですけど。「そうだったかな?」って自分でも忘れちゃってたりしてて(笑)
忘れちゃうぐらい長く続いてるってことですよね。
そうそう。忘れちゃっても続いてるぐらい気概があるというか。気を張らなくても続けられるぐらい気合いが入ってるというか。何か変なこと言ってるよね。
いやいや、なんだか五味さんらしい表現だなと。パッションを持っている部分はありつつ、肩の力が抜けたラフさもあって。そうやってバランスをとりながらモチベーションを保っているのかなって思いました。

この街は、身体の一部みたいな存在だから
最近何か新しい動きはありますか?
じつは去年の9月から味噌醸造の工場を改装しているんだけど、仕事と並行しながらリノベーションしているので実質3年ぐらいかかるんです。きっと新しい工場を建てて機能を移行するのが一番楽で手っ取り早いんだけどね。
時間はかかるけれど、残す道を選んだのですね。
でも今まで3年にもわたるプロジェクトなんてやったことがなかったから、なんかちょっと飽きてきてるっていうか。今までにない不思議な感覚になってるんですよね。
そういう初めての感覚に対峙するのって嫌いじゃないように見えるんですが。
マインド的にはMだからね(笑)。実際は原材料も高騰しているし、今までのプロジェクトより規模や借入の額も大きいから、結果がイマイチだと結構きついなっていうのもあったんですよ。でも戦後焼け野原になったときからずっとこの街にある工場だからなと思って。

リスクを負ってでも継承したいという思いになったんですね。お話を聞いていると、街の文化や歴史などをすごく大切にされているなと感じるんですけど。やはりこの街に思い入れはありますか?
ここは身体の一部みたいな存在なんですよ。盛り上がってくれれば楽しいし、お店がなくなってもそれはそれでいい。人は減っているかもしれないけれど、廃れているとかつまらないとかは全く思わないんですよね。やっぱり自分が生まれ育った場所なんで。
最近は周辺にお店も増えていますよね。お隣の「Tane」は五味醤油の建物をお貸ししているんですよね?
そうそう。「AKITO COFFEE」っていう甲府駅北口のコーヒー屋さんに、もともと醤油の製造所だったスペースを貸しているんですよ。ほかにもうちの目の前に空き家があって、そこは近所の「Chupa」っていう着屋さんの事務所兼ギャラリーとして使ってもらってて。
あそこも五味さんが貸している物件だったんだ。
昨年には「Cycle」っていう古道具屋さんもオープンしたんだけど、そこは隣の材木屋さんが持っていた場所で、物件探しの相談を受けたから話をつないであげたんだよね。
もはややってることが不動産屋さんですね(笑)。でも山梨で事業展開を検討しているスタートアップ企業の中にも、物件を必要としている人もいるかもしれません。
割と長く商売してるところって、不動産屋さんみたいな側面もあったりするんです。
「手前都合」じゃ「手前みそ」は語れない
五味さんは6代目として家業を継承されていますが、自分が継ぐとなったときはどんなことを考えていましたか?
東京の大学を卒業してから醸造メーカーに就職して3年間働いてたんだけど、いずれは実家に戻るつもりでいたんで、ずっともう継いでるようなマインドだったんですよ。社長になってからもう7年ぐらい経つんだけど、それはただ社長になったってだけで。
山梨に戻ってくる前の経験で何か影響を受けたことはありますか?
そこそこ大きい会社で働いていたんだけど、主に大手食品メーカーの下請け製造がメインだったんです。だから自分たちが作った味噌や醤油がどんな人に食べられてるのかが全く見えなかった。
今とは対極ですよね。
そうだね。だから自分が家業を継いだら誰に届いているかがわかる味噌作りをしていきたいって思いましたね。そういう点で手前みそ教室ってすごくいいんですよ。隣で喋りながら作るから、人となりもよくわかって。
やっぱり手前みそ教室が原点なんですね。
KANENTEも手前みそ教室のために作った場所なんですよ。手前みそ教室は、はじめ出張という形で実施していて、当初は年間で10回とかだったんですけど、最終的には100回ぐらいに増えちゃって(笑)。いよいよ出張して出かけていくという今までの仕組みじゃ回らないとなって、それで建てたのがここなんです。
それも自然な流れだったんですね。五味さんって「面白いことやってみよう」みたいなマインドで事業を仕掛けているように見えていたんですけど、話を聞いていると、意外となるべくしてなっているというか。
「面白いことをやっている」って見せてるというか、勝手にそう見えてるというかね。

そういうスタンスって味噌作りにも通ずるところがあるのかなと思って。天然製法にこだわって、細かく数字で管理しているわけではないじゃないですか。自然の成り行きって言ったらちょっと軽率かもしれないですけれど、そういう柔軟なマインドが五味さんにあるのかなと思って。
麹を作るのに3日ぐらいかかるんですけど、結構付きっきりで面倒見なきゃならないんですよ。麹の温度が自然と上がってくるのを待ってから混ぜる。それってこっちが操れるものではなくて、全くの“麹都合”なんですよね。
発酵の工程って能動的な作業ではないんですね。
めちゃめちゃ受身というか、相手に合わせる作業なんですよね。だからわりと醸造業の人たちは忍耐強くて柔軟な人が多いんじゃないかな。
環境を整えてあげるというか、素材たちがいい状態で反応し合えるような場作りをしているんですね。それって五味さんが普段周囲の方にしてあげていることにも近しいものなのかなと思ったりします。
そうかもね。多くの味噌屋や酒蔵の過去をたどると、古くから土地を持っていたり、金融や宿泊とか地域に関わる事業を並行していた歴史があるんですよ。年貢米を取りまとめていたりとかね。
じゃあ醸造に使っていたお米は地域の人から集めたものだったんですかね?
そうだね。だから醸造業って産業としての歴史はここ200年ぐらいの話だけど、それよりずっと前から地域のことをいろいろと担ってた人たちだったんですよ。そう思うと、自分が物件の紹介とか余計なおせっかいをしているっていうのは、そういうメンタリティが備わっているからなのかなって思うんです。
醸造業の人たちに伝わるメンタリティ。面白い話ですね。
近くに神社があれば、氏子総代やお祭りの取りまとめをしたりとか、なんだったら神社を建て直すときに率先してお金を払うのが醸造業の人たちだったりして。そういう歴史の中で続けさせてもらっている仕事だから、味噌の価値を伝えていくだけではなくて、地域に還元する何かと一緒に存続していかないと意味がないと思っているんですよ。
それが五味さんの考える醸造業のあるべき姿なんですね。
今全国に味噌屋は800件ぐらいあるんだけど、みんながちょっとずつでも地域に貢献していけば、世の中めちゃめちゃよくなるんじゃないかって。だから今回の工場改装もきつい部分はあるけれど、頑張ろうって思えてるんです。

「甲府のまちのみそ屋さん」がかける“おせっかい”
五味さんがまだチャレンジできていない事業モデルとか、こんなスタートアップ企業が山梨に来たら一緒にやってみたいとかってあります?
ちょうど朝ニュースを見ていたら、腸内にいる微生物の状態を調べられる新サービスが紹介されていたんですよ。なんか「味噌汁不足」とか診断を出してくれたらうちは助かるなと思って(笑)。その人の腸内環境に合わせた食材やレシピを提案してくれるテクノロジーとか、食事習慣をサポートしてくれるサービスがあったら一緒にやってみたいですよね。
確かに「腸活」の分野でも発酵食品は注目されてますもんね。改めてなんですけど、やっぱり味噌は身体にいいんですか?
とってもいいと思いますよ。でも、味噌を食べること自体が大事というか…。例えば味噌汁って僕は朝ご飯のイメージがあるんですけど、朝起きて料理をしてご飯を食べる、そういう習慣の中に健康を維持する本質があるんじゃないかって思うんです。だから必ずしも味噌じゃなくてもいいと思っていて。

五味さんの手がける事業ってどれも点で終わるものではなくて、すべてがつながっているように思います。味噌を食べることが健康に直結するというより、食の習慣を通じて家庭や暮らしが豊かになる。その小さな点がつながることで街全体がよくなっていくみたいな。そういう視点を大切にしているんですかね。
ちょっとよく言ってもらい過ぎな気もするけど(笑)。でも山梨は本当にいいところですよ。ゆったりしているし、東京にもすぐ行けるし、特に不足していると感じることもない。幸いうちはいろんな人が立ち寄ってくれるから、それも大きいかもしれないですね。
いろんな人を街にアテンドされてますもんね。これまで多くの人が訪れてきたと思うのですが、山梨に馴染める人ってどんな人だと思いますか?
そうですね…楽しくお酒を飲める人じゃないかな(笑)。街中でばったり会って、ちょっと一杯やりながらダベるくらいの感じがいいよね。「今こんなもの作ってみてるんですよ!」みたいな。
確かに、そんな人がたくさんいたら楽しくなりそうですよね。
スタートアップに限らず、何か街のことでチャレンジしたい人がいたら手伝っていきたいなって思ってるんですよ。「こうしたら良くなる」って、その考えに共感できたら結果がどうなるかわからなくてもできるだけ応援していきたいですね。
なるほど。それが「甲府のまちのみそ屋さん」がかける“おせっかい”なんですね。ちなみに、山梨はどうしたらもっとよくなっていくんでしょうね?
まあ…今のままでも十分いい街だからね。わざわざやることも特にないかもしれないね(笑)